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B型肝炎ウィルスのワクチンを乳児に接種する必要性は十分にあるか?

多くの小児科医はHBVワクチンをぜひ接種して欲しいと願ってはいますが、この記事を書いている2015年11月現在、B型肝炎ウィルス(HBV)の予防接種を乳児期に接種するかどうかは、ご両親にとって悩ましい話だと感じられるかもしれません。

我々の施設では、小児科医が親と一緒に、出生後初期の予防接種のスケジュールを立てるようにしています。この時、現時点では任意接種のワクチン(ロタとHBV)は、費用が自己負担となることもあって、接種を迷われる親も当然いらっしゃいます。だいたい、80%くらいの方がロタワクチンの接種を、50%強がB型肝炎ワクチンの接種を希望されます。ロタのほうが接種率が高いのは、その高い感染率と下痢嘔吐というわかりやすい症状があるからでしょう。

一方、HBVワクチンの必要性というのは、小児科医にとっても説明の難しい問題です。費用がかかるというのは子供が生まれたばかりの親にとって大事な問題ですし、B型肝炎はロタのように頻度の多い疾患ではないからです。

HBVワクチンは近々、定期接種に組み入れられるだろうと言われています。そうなると費用は全額補助となり、上記のような悩み事は避けられるはずなのですが、このワクチンが現代日本でどれくらい必要なのか、については、聞かれた時のためにも明確な答えを持っておきたいところです。

B型肝炎になると何が悪いのか?

HBVによる感染の経過を、簡単にまとめてみます。

乳幼児期(3歳以下)の感染 ・持続的な感染となりやすい
成人の感染 ・感染しても多くは症状が出ないが、20-30%は急性肝炎の症状
・急性肝炎のおよそ10%は持続的な感染となる。持続化しやすい遺伝子型Aのウィルスが増加傾向にある。

持続感染者(キャリア)になると、そのうちの10-15%がゆっくりと進行して肝硬変から肝細胞癌を発症します。まさに、HBVクチンはこの肝細胞癌を減らす目的のワクチンだと言えそうです。

HBVは何処で感染するのか?

むかし、といっても1985年までですから一昔前までですが、HBV感染の多くは母子感染、とくに分娩時の産道を通るときに母親から感染するものでした。しかしこの感染経路については、HBVキャリアの母親からの出生時に予防処置をすることで、現在ではほぼ100%防ぐことができるようになりました。

その他の感染経路として、注射針の使い回し、輸血や血液製剤の使用など、医療行為によるものがありました。注射針の使い回しなんてことは、現在ではもちろん行われていませんし、血液製剤についても十分な検査と対策がとられるようになっており、残念ながら技術的限界でゼロにはできないものの、年間数例の感染が報告されるのみとなっています。

となると、HBVワクチン接種は必要なの?という疑問が、でてきませんか?

母子感染、医療行為に関連する感染がなくなっても、HBVの感染経路はなくなりません。2015年現在では、HBVの主な感染原因は、血液や体液を介する感染と、性行為感染によるものが大部分となっています。
血液や体液を介する感染については、保育園などでの集団感染事例や、噛みつきでも感染例があります。HBVはもともと、感染力自体はかなり高いウィルスなのです。

性行為感染となると、もう少し年齢が上の感染となります。以前は、成人になってからの感染は一過性の肝炎にとどまり、キャリアにはなりにくいといわれていました。しかし現在では、成人となってからの感染でもその10-15%はキャリアになると言われています。遺伝子型Aというキャリアになりやすいウィルスが増加しているのも、先に書いたとおりです。

現在、日本国内のHBV保有者はおよそ100万人と言われ、感染の機会はなくなってはいません。私たちは感染者を差別すべきではなく、かつ、HBV感染を減らしたいと思っているのです。そのためには、ワクチンを出来るだけ多くの人が接種することによって、偶発的な感染を防ぐべきでしょう。

感染の危険が依然としてあるとして、HBVワクチンをすべての子供に接種するだけの理由はあるのか?

母子感染が防がれた現在、その後に自然に感染する機会があるとは言っても、そんなに多くは無いのではないか?。このことが、小児科医がHBVワクチンの必要性について説明するときのウィークポイントとなっていました。

キャリア化したときの結果が重大なのは明らかです。10-15%が肝硬変から肝癌に進行、といえば、誰しもそれは防ぎたいなあと感じることでしょう。しかし、感染する機会が少ないのであれば、お金もかかるし…、と言われてしまうと、さて、小児科医の側には、これを説得する十分な材料があるのでしょうか?

そのためには、乳児期以後、自然に感染する率が実際どれくらいあるのか、というデータを見なければなりません。そして、本当に感染してしまった場合の不利益と、ワクチンの不利益(ほぼ、お金です)に、それぞれの確率を掛けて比較するという作業が必要です。

母子感染を防いだ現在、その後の感染機会はどれくらいあるのか?

どれくらいの感染率があれば、接種したほうがお得!と感じてもらえるのかは人それぞれなのですが、とりあえず現在のデータを調べてみましょう。

これまでになされた調査がよくまとまった公的資料があります。

「小児におけるB型肝炎の水平感染の実態把握と ワクチン戦略の再構築に関する研究」結果概要
厚生科学研究費補助金 肝炎等克服政策研究事業(第12回 予防接種基本方針部会 平成27年1月9日)

大雑把にいうと、20歳くらいまでに500人に1人くらいが自然にHBVに感染し、そのうち10人に1人くらいが感染が持続し、慢性化しているというデータです。

どうでしょうか、この数字は高いとお思いでしょうか?

少なくとも私個人としては、それまで思っていたよりもずっと高率で、この数字を見た時はちょっと驚き、これはもっと強めにワクチン接種するように言わねばならなかったな、と反省した次第です。

もともと母子感染防止が普及する前はこの10倍のキャリアの方がいらっしゃいました。いまの若者のリスクが下がったのは、母子感染防止の恩恵です。しかしながら、ウィルスが存在する限り、それが原因で病気になる人が発生し続けるのも確かですから、ウィルスを駆逐する手段があって、その不利益とコストが得られる利益に十分見合うのであれば、その手段を取るべきでしょう。

HBVワクチンは、安全性を担保するデータが非常によく集積されているワクチンの一つです。ウィルスを駆逐するのであれば、母子感染予防だけでは不可能ですから、ワクチンによって世の中の大多数の人がHBVに対して免疫をもった状態が望まれます。

過去、天然痘からポリオ、麻しんにいたるまで、そうやってワクチンをみんなで接種することによって、この国からウィルスをなくし、病気の不安自体をなくしてきたのでした。B型肝炎もそれを目指すべきだ、と思いますし、WHOの大きな方針でもあります。そういう目で見ると、500人に1人が自然に感染するという数字は、かなり高いなあと思うのです。