日本ワクチン行政の失われた10年
日本のワクチンは世界標準からみると非常に遅れている、後進国よりも遅れている、などなど、よく言われます。
考察して出る結論は予想が付いています。が、他国と比較できる資料は意外と見つからなかったので、ひとまずアメリカとの比較を作ってみました。
ただ、後に延べますが、「遅れの根本的な責任は行政にはない」と自分は考えておいます。「全く、これだから厚生省(厚労省)は…」という文句を言っておしまいにしたくはありません。
比較:日本とアメリカのワクチンの歴史
(けっこう資料が少なかったので…間違っていたら指摘が欲しいです)
まずアメリカのワクチンの歴史。
1980年台から2000年台に至るまで、、続々と新しい手が打たれてきているのがわかります。MMRが2回接種になっているのは1989年です。
このへんの知識の集積度+必要とあればすぐやるフットワークの軽さは見習うべきものがあります。
また、アメリカでは、予防接種の費用は保険で賄われるようです。
これは無料であるという事を意味しませんが、子供のワクチン費用は広く皆で負担するという構造になっているようです。
対して日本のワクチンの歴史です。
当初アメリカに遅れているのは時代から言って仕方のないことであります。
注目すべきは、その後1960年台以降の高度成長期において、ドラスティックにワクチンが取り入れられていっていることです。
- 1961年のポリオ生ワクチンの事実上の緊急接種
- 1981年のDTaPワクチンの世界最速導入
- 水痘ワクチンの開発
必要に迫られて、という背景を考慮したとしても、少なくとも当時の日本のワクチン行政は積極的でした。もちろん先頭ランナーというわけではありませんが、トップグループには入っていたのではないでしょうか。
その後1990年~2005年まで、目立った動きがなくなります。
いや、水面下では、新しい日本脳炎ワクチンの開発や、不活化ポリオワクチンの開発にリソースが割かれていたわけですが、結果としてスケジュールの改訂はありません。
この間にB肝、Hib、肺炎球菌、MMRの2回接種などなど、次々と導入していったアメリカとの差が開いています。
いつから遅れていたのか、なぜそうなったのか、慢心・環境の違い…。
当時の日本の世論の潮流が、その背景にあるのではないでしょうか。
1970年台にも種痘禍といって、天然痘の予防接種に対して、その副反応が大きな問題となりました。天然痘が減少し、ワクチンが不要となりつつあったにもかかわらず、強制接種を続けていたことが問題を大きくしたと聞きます。
また、三種混合ワクチンやインフルエンザワクチンの副反応、注射針の使い回しによる肝炎への感染などの事態があり、1970年台から集団訴訟が繰り返され、国の責任が認められていったという歴史があります。
予防接種の効果によって疾患自体が非常に稀となり、副反応の方がクローズアップされるという逆転現象は、ある疾患が予防接種により根絶される手前の時期に見られるものであり、その後、不活化ポリオワクチンの導入時にも同じようなことになりました。
また、1989年から始まったMMRワクチンが、無菌性髄膜炎の多発により1993年に中止されるという事態になりました。これは、MMRワクチン以外のワクチンにも不安を煽ることとなり、結果としてワクチンに対する世論に大きな影響を与えました。
1994年にインフルエンザワクチンの集団接種が中止となった背景には、このような世論の存在に加え、「インフルエンザワクチンは効果がないのではないか」というレポートが発表されたこともあります。
いま、これらのレポートをみると、研究方法や集計方法が誤っていることが分かるのですが、残念ながら、当時はそのような冷静な判読が可能な人材が多くなかったのでしょう。
先に、「遅れの根本的な責任は日本の行政にはない」と自分は思うと書きました。彼らは出力の最下流にいただけです。上記のような世論が政治家を動かし、ワクチンにお金が投下されない時代となり、その結果行政が遅れたのだと思います。
また、訴訟の敗訴により、よほど慎重に慎重を重ねてデータを集めないと、新しいワクチンが開始できないという、行政の萎縮効果もあったと思われます。
たしかに、MMRを始めとして、当時のワクチンには問題がありました。しかし、そのことを重視しすぎた結果、ワクチンそのものに対して猜疑の目が向けられたことが、失われた時間の始まりでした。新しいワクチンの導入に空白の期間が生まれてしまったのです。
結果として現れた、インフルエンザワクチンの接種率の低下、Hib・肺炎球菌ワクチンの導入の遅れ、麻疹・風疹ワクチンの2回接種化の遅れ…。これらが、いったいどれほど、助けられるはずだった子どもたち、もう少し生きられたはずの高齢者たちからその機会をうばったでしょう。
無作為の罪は目立ちません。ですが、その数は、多いのです。
そして、最も責任があるのは、報道でも、誤ったレポートを出した医師たちでもなく、リスクと利益を公平な目で見て判断するということに慣れていなかった国民ではないかと、思います。
ですから、今後どうすればよいのかという話になると、それは、リスクと利益を公平な目で見て判断するということに慣れた国民を増やす、ということにつきる、とおもいます。
お金の話
日本のワクチンの歴史を再掲します。
2010年以降をみて下さい。失われていた時間を取り戻すかのように、ワクチンが導入されています。
しかし、ここには大きな課題があります。「お金がない」のです。
表に点線で示したワクチンは、「任意の接種」の扱いで、比較的高額な費用も、個別に自分で支払う必要があります。接種できるように導入はしてみたものの、お金が結構かかるので、接種率はさほど上がらない、という状況なのです。
ワクチンの効果をしっかりだすためには、接種率を上げる必要があります。そのためには、費用を薄く広く社会全体で負担する仕組みが不可欠です。
お金を出せば、それ以上の見返りが後々に得られることはわかっているはずなのですが、残念ながらそこに税金を投入しようという世論がありません。結果、政治家が動かず、ワクチンに掛ける費用は抑制されたまま、なのです。
この点には、日本人の個人主義的な性質がよく現れているように思います。
先述しましたが、アメリカには「任意の接種」の区別は存在しません。接種費用は保険で賄われるようです。もちろん、保険の種類によって異なるかもしれませんが、社会のために必要なお金は、社会全体で広く負担するという、共通した理念があるようにおもいます。
日本では、これから超高齢化社会を迎えるにあたり、厚労省が医療費を抑制しようと動くのは当然です。
ですが、その流れに子どもたちに接種するワクチン費用が含まれるのは不可解です。
そこは大盤振る舞いして良い、何なら、無意味な延命治療に掛けるお金を削って、子どもたちのために使えば良い、と思います。
いま、この点に、小児科医からのアピール、冷静な報道、政治家のリーダーシップが求められていると感じます。
日本のワクチンにこれから必要なこと
4種混合ワクチンの供給が安定化しても、次なる課題は山積しています。
- おたふく、水痘、B型肝炎、ロタの公費負担
- おたふく、水痘の2回接種化
- 13価肺炎球菌ワクチンの導入
- Hib、肺炎球菌ワクチンを混合したワクチンの導入(6種混合?)
- MMRへの再チャレンジ、MMRV導入
しかしこう書いておいて実はあまり悲観をしておりません。ほとんどのお母さんがたは予防接種についてよくご理解を頂いておりますし、2009年のインフルエンザ以降くらいからでしょうか、否定的な意見は減少しているように思います。
今の小児科医としての使命は、複雑化している日本のワクチンスケジュールを噛み砕いて説明し、スムーズな接種スケジュールにのせてゆくことだと思っています。
そのため、ワクチン接種時期一覧表を、生まれた赤ちゃんひとりひとりに合わせて作成して、お渡ししています。また、可能な限り、退院前に初期のワクチン接種の予約を済ませるようにしています。