simbelmynë :: diary

小児科医療 & 趣味はコンピュータいじりです

子供にゲームを選び与える事

自分は(コンピュータ)ゲーム大好き人間である。

といっても、ゲームを買い与えてはもらえない家庭で育ったので、経験したゲームは少ない。

友達の家で遊んだり、中高生の頃はログインやポプコムを眺めたり、大学生になってから過去のゲームをやりまくったりして、まあそれなりに詳しい方になった。知識だけは多い脳内ゲーマーである。

 

今までで最も良かったゲームはサバッシュII、時間を費やしたのはUO。でもこのへんは子供に与えるようなゲームではない。

 

 

奥さんがゲームに興味をもたないため、積極的に子供たちにゲームを与えることをしなかった。ただ、学校で英語の授業に使うからということで、長男にDSiを購入して与えた。

 

奥さんの目を伺いつつ、漢字だの英語など買い与えていた。あんまり興味を示さず。

レイトン教授の一作目を与えた。まだ難しかったみたい。

 

次に「洞窟物語」を与えた。どうだ、これは俺の渾身の紹介だ。結構面白がっている。そうだろ、これは絶対にやるべきだ。こんなものを一人で作り上げた作者はきっと変態か何かだ。そういう作者の執念みたいなものを子供に経験させたかったのだ。

 

 

 

「子供にやらせたいゲームリスト」が脳内にある。

自分が経験して、いまの自分の考え方の一部になっているような作品を、子供にもやらせたくなる。どうしても、自分と同じ精神的な経験を子供にもさせたくなるものだ。

 

 

上の子は、次はモンハンが欲しいと言っている。このミーハーめ。お前モンハンがどんなゲームかしらんだろ。お父さんの考えでは、君にそういうのは向いてないと思うのよ。アクションとか指先の技が要求されるような奴は。きっと君は途中で投げ出しちゃうよ。

 

しかし親がこういう所で子供の経験を調整してしまうのは、実は子供にとって良くないのかもしれない。

 

自分が選んだ経験を、それが成功であれ失敗であれ、神ゲーであれ糞ゲーであれ、それに殉じて消化してゆくのが、本来のすがたなのかもしれないけどな。

今の時代には今の子供たちにあったゲームがあって、本来、そういうのを経験して、自分の糧としていくのが良いのかもれないけれどなあ。

どうしても、子供に与えるものを調整したくなるんだよなあ。

 

 

二人目がゲームに興味をもって、とびだせどうぶつの森が欲しいと言っている。ちょっと奥さんも乗り気。おともだちの家で借りてやりまくっていたんだとか。

そうかあ。3DSごと購入もいいかもなあ。でもきっと上の子もやりたがるだろうなあ。そうすると洞窟物語をクリアしてからだよなあ。

 

自分の脳内ゲームリストとの整合性を考える。

うーん、洞窟物語の次はドラクエ123の流れだ、と思っていて、Wiiをいかにして購入するか作戦をねっていたんだけどなあ。

 

とび森かぁ。とび森もいいかもなあ。 

親が調整すべきじゃないかもなあ。